遠く、潮騒が聞こえる。
繰り返すさざ波の音、砂を拡散させては奪ってゆく、水のうねり。
闇に染まり紫色になったシーツにくるまれ、
彼女はその透明な音楽に耳を傾けていた。


胎内で聞いていたのだろう、
この音は心地よく、体中をめぐり、彼女の内部を淘汰する。


むくりとこうべを上げ、身体を起こした。
ベッドから素足をそっと下ろす、足の裏にひんやりとした床の存在を感じ、
彼女はそのまま海岸へ赴いた。


夜の海はおどろくほど静かで、空と海の境界はかぎりなく零に近い。
先ほどまで聞こえていた、さざ波はどこか不安げに、
シーツの中で聞いていた音楽とは異なった疑惑を感じさせる。


砂の感触を、直接足の指先でたしかめて、エアリスは腰を下ろした。




コスタ・デル・ソルに来ていちばんにはしゃいだのは自分だった。
眩しい太陽も、一面に広がる青い青い海も、砂浜を歩く優雅な人々も、
まるでこの世界に戦いなんてないかのように穏やかで平和な表情を見せて。
ここに泊まってみたいと一言つぶやいたら、クラウドはふっと笑ってうなづいてくれた。


波の音。


夜の海の疑惑の音は消えた。
砂浜に座ったエアリスには、さきほどベッドの中で聞いていた音楽がリプレイする。


ミッドガルから続くこの旅ではひとりになる時間はあまりなかった。
いつもそばに誰か居てくれたのだ。
とても自然に、ティファが、バレットが、クラウドが隣に来てくれた。
それがとても心地よかったのだ。
だから素直に笑えたし、甘えることができた。


波の音。

つづく音楽はエアリスの聴覚を刺激し、頭の中をなめらかに占領する。
じんじんとするような感覚、波の音に自分の身体が溶けていくような不思議な感覚を覚える。
目を閉じてそれを味わうかのようにエアリスは組んだ腕に顔を埋めた。


きっとみんなも、この音に抱かれながら、いとしい夢を見ているのだろう。
エアリスは祈る。


もう少しだけ、このままで、






「甘えちゃだめだよ」


もう一人の自分がささやいた。
エアリスはそっと目を開ける。


「だめ、だめ。いまのうちだけ」


もう一度ささやき。
目を開けたエアリスは、口角を上げて笑った。


(・・・こわいなぁ)


意識をもってして動く感情よりも、その奥にある不確かなもののほうがよっぽど素直で、凶暴だ。
おどろくほど冷静に、客観的に、そして残酷に、それは裡にむくむくと育ち、
いじわるな顔を見せる。
いつからこんな風になったのか。
エアリスは思い返す、だがそれは今の波音に満たされた頭ではなかなか辿ることができない。


暗い海、白い泡が波打ち際に溢れ、そして流されていく。
溢れては流れ、存在しては消滅し、残るのは消えない波音、ただそれだけ。
人もきっと、最後に残るのは声だけなんじゃないだろうか。
音が聞こえるということは、同時にそのなめらかで掴めない、せつないものを、
受け入れ抱えていくということなんだろう。
エアリスは切れ切れに、感情を漂わせた。




時刻は深夜2時。
くりかえしくりかえし響く音楽に、エアリスはもうすこしだけ酔っていたいと思った。